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オガワの腹ん中。

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自分で決める卒業

暑いですね。
とろけてませんか。
私はとろけてます。

さて。
今日は、これから「卒業式」です。
卒業生は私。先生や来賓の皆さんはいません。

晴れて、ひとり卒業式です。

足もみ研修を終えたら務める予定だったお店を、
さっき、辞退してきました。

やばい、と思い始めたのはひと月、いやもっと前か。
ひと月半ぐらい前のことです。

習う施術が確実に、私の基礎体力を超えている。

「自分には向いてないのかな」「でもガマンしなきゃいけない」
「なぜなら私はがんばらないと生きていく資格がない人だから」。

えーーらいがんばりました。
汗っっだくになってね。
そして、ただただ、つらく悲しくなりました。
当然です。「自己否定」をすべての前提にしてるんですから。

「手に何の職もない私はこの道を頑張らないと後はない」
「自分の意志で決めた道なのだから最後までまっとうしなくちゃいけない」。

どんっどん猫背になります。
研修以外のことが、目に見えてできなくなっていきます。
具体的に言うと、古紙ゴミがたまります(笑)。
ごはん何たべよう、がすでに面倒です。
友だちと飲みに行くとか、映画やお芝居を観にでかけるなんて、もってのほかです。

おかしいな。
実家帰っておかーさん揉んであげたり、
友だち呼んで練習台になってもらったり、
そういうのはとっても楽しかったのに。

おかしいなーおかしいなーって思いながら研修を重ね、
だんだん基礎体力もついてきて、
ハードな施術もこなせるようになってきて、
やがて、ひととおり全部の施術を、できるようになりました。

「あとは、制限時間内にすべての施術を入れ込む練習と、
 お客様をお迎えして送り出すトークをよどみなく覚えること!」

ここまで、来たのです。ついにここまで。

……ちーーともうれしくないのーーー!

脳みそが、心が、それらを全力で拒みます。
やだちょっと何ごとですか。私は私に尋ねます。


私がやりたいのは、お店の規格通りの店員さんになることではなく、
相手の状況とニーズに応じて、足もみやらコーチングやらただのおしゃべりやら、
それはそれは自由に形を変える、

大人のための移動保健室なのです!!


……出た。やっと出ました本音が。長かった……

そうと決まったら1日も早く、その準備に乗り出さねばなりません。
ありがたいことに、相談相手になろうとしてくれるコーチングの先輩がいます。
前人未到の「足もみコーチング」を受けてくれるという友人も複数います。

「石の上にも三年」と申します。
「辛抱が足りん」とおっしゃる方もいるでしょう。でもね、

辛抱してたらいつまで経っても私の人生は始まらないのですーー!

やだ。もう待ってられない。私から獲りに行く。
そんな気持ちです。だから、

今日の卒業式はね、奮発して「獺祭」小瓶を購入。
近所のスーパーで普通に売ってた。ラッキー。







# by shibe0814 | 2016-08-16 14:07 | オガワの腹ん中
「幸せになる方法」。

最近、ちょっと意地悪な気持ちで、
ググってみた言葉です。

セラピストさん。心理学者さん。
なんか、宇宙とか星座とかの、スピリチュアルな皆さん。
ありとあらゆる方の幸福論が、べべべっと並びます。

「自分に嘘をつかないで」
「自分自身を好きになってあげて」
「嫌なことは断っていいんだよ」
「泣いてもいいんだよ」

……。

うんわかった、そうするー!……とは、
ぜーんぜん言える気持ちになりません。

だって、だってそうじゃないですか。
人は誰だって子どもの頃から、
「それしちゃいけません」「もっとがんばりなさい」
って言われて育ってきてるんですよ。

「今の自分じゃ全然足りない」、
「がんばらなかったら自分に価値はない」、
それが初期値、デフォルトなのです。

それをいきなり「自分を許してあげて」とか言われてもさー、
そんな方法まるでわからんわけさ。

陸地を飛び回って暮らしてる野ザルを大海原へ放り込んで、
「泳いでもいいんだよー!」「泳ぐ自分も許してあげてー!」って、


野ザル、おぼれるって!!


悪いけど私は生粋の野ザルです。
何らかの課題を前にすると、
まず「できない理由」が脳内に箇条書されます。

たとえば部活を選ぶとき、あるいは就職超氷河期を経て、
「一番ほしいものは望んじゃいけない」と思って育ちました。

だから「一番ほしいもの」が目の前に現れても、
自分へのダメ出しが真っ先に山ほど浮かぶから、足がすくみます。

ほしいものがあっても、望まない。
離れていくなら、追いかけない。

私にとって、それはとてもラクな生き方で。


でもね、ほしいものが、できちゃったんです。
ある朝、急に降ってきて、私は名刺の肩書を書き換えました。

あなたを、さがしています。_c0241437_12254032.jpg


春から取り組んできた足もみ技術とコーチング技術を持って、
私はこれから誰かのもとへ、いそいそと出かけていくのです。

たとえばおうちや、会社や、その近くで。
以前のつながりを生かすなら、
何らかの楽屋か稽古場で。

足が重いなら、その足をもみ、
心が重いなら、その心を聴く。

そんな毎日を私は生きたい。
そんなふうにしてごはんが食べたい。
いつ来るかわからない未来の話じゃない。
今日明日と地続きの、現実の話として。


……やっちゃいけないって、誰が決めたの?


というわけで、動き出してみようと思います。
今これを読んでいる、そう、あなたに、私は書いています。

ちまたにあふれる幸福論に全然乗れない人。
乗れないから、自分は、幸せなんか要らないのだって思ってる人。
自分のこの毎日の暮らしはもはやフィックスで、
何も変えようがないのだと思ってる人。

むしろ、風ひとつ、吹いてくれるなと思ってる人。

野ザルどうし、時間をかけて、風をさがしてみませんか。
案外気持ちいいのかもよ。知らないけど。

「あいにいく」第二ステージ。
おしゃべりしましょ。

ご連絡、お待ちしております。
小川志津子 info@ai-ni-iku.com



# by shibe0814 | 2016-08-09 12:45 | オガワの腹ん中
このところ教わりっぱなしのオガワです。
謎のじんましん以降、テレビと昼寝とスマホゲームと、
たいへんジダラクな日々を過ごしています。

皆さんこないだ見ましたか「アウト☓デラックス」。
ちょっと忘れられない代物だったですね。

ゲストは桃井かおりさん。
彼女の来歴や「アウト」なエピソードが次々と披露されて、
やがて彼女の監督最新作についての話題になりました。

桃井さんのおうちをスタジオにして、撮ったんですって。
みんなのごはんも、桃井さんがこしらえたんですって。
まるで合宿みたいにして作られたその映画は、
普通だったらひと月半はかかりそうなものを、
「10日で撮れちゃったわよぉー」、って桃井さんは笑いました。

そのトークの場を回す係を任されていたのが、
南海キャンディーズ山ちゃんでした。
みんなの話のボリュームがちょっと下がった刹那、
スタッフからカンペで示された質問をはさみます。
「桃井さん、今後の目標とか、あるんですか?」

するとね。桃井さんはちょっと黙って、
それから山ちゃんを見つめて、
こんなようなことを言ったんです。

「聞きたい質問じゃなくて、
 聞かなきゃいけない、っていう質問を、
 しなきゃいけないのだと思ってるあなたが可哀想」

……!!!

スタジオは当然それを笑いに変えます。
だけど私は思ったのです。

この構図、どっかで見たことある!と。

なにかを「解脱」したやつらは、決まって言いやがります。
「しなきゃいけない」にとらわれない人生って最高よお!って。
でもね、ちょっと待ってと私は言いたい。


あなたたちの、その幸せを、支えているのは誰ですか、と!


そのあとの山ちゃんが素晴らしかった。
桃井さんの言葉が深く深く刺さっちゃったことが、
顔を見ればもう歴然でした。
みんなが、山ちゃんを、笑います。
そこで彼はこう言ったのです。

「……で、今後の目標とか、あるんですか??」

わあっと笑いが起きて、コーナーはおしまい。
私は感動した。感動しちゃったよ。

その質問ダメよ、と言われた質問を再度重ねるという選択肢!

果敢。新概念。
サイコーだよあんた。


# by shibe0814 | 2016-07-16 17:52 | オガワの腹ん中

身体が教えてくれたこと

どうもお久しぶりです。
相変わらず足揉み研修中のオガワです。

先月末ぐらいかな、ヒザ下の施術を習いましてね。
これがずっと中腰の姿勢を持続しながら力仕事をしなければならず、
その日の研修が終わったときはもうすっかり抜け殻で、

じんましんが出ました。

ひゃー、びっくりした。
医者によると「疲労や発汗によって出ることが多い」のだそうで、
思い当たるふしがありまくりなので、
クスリもらってすごすごと引き上げてきました。

考えてみると。

足揉みを習い始めてからこっち、
友だちを自宅に呼んでは、練習台になってもらったりして、
テンション高めに過ごしてきました。

当然、転身の理由をたずねられますから、
テンション高めに、答えるわけです。

へええっ、って面白がってくれる人多数。
そういう人たちにきゃっきゃとはしゃいでみせながら私は、

必死に、信じこもうとしていました。
この選択は間違ってないのだと。

あちゃー。と思います。
私はまた、同じ轍を踏もうとしている。

同じ轍。

私はどうも、これまでの人生経験上、
何らかの居場所や、密な人間関係を得ても、
それが長く続くことがあんまりありません。

最初は、面白がってもらえます。
「オガワさん、面白いねえ!」って言ってもらえる。

だけどそうやって私が「面白く」そばに居続けるうちに、
急に、その人たちからのレスポンスが、悪くなる時が訪れます。

送ったメールが返ってこなくなる。
大切な催しの日程が知らされない。
私の「面白」が、撃っても撃っても、何も響かない。

ああそうか、私は用済みなのだ。
そうやって閉じていった居場所と人間関係が、いくつかあります。
思い出すと涙が出るくらい、愛しかった人たちです。

私がライターの道を手放したのは、それがつらすぎるからです。
取材ライターの日々はその繰り返しでできていて、
それがつらすぎて、手放さずにいられなかった。

でもまた、同じことが今、起きてるんじゃないか。
足揉みにはしゃぐことで、ライター歴まるごとを閉じようとしてはいないか。
足揉み界隈で必死に「愉快なオガワさん」をしている私は、
今までと同じように、いつか飽きられて、拒まれるんじゃないか。
そんなふうに思えてならないのです。

……最近ね。
ネットとかを見てると、コーチングがらみなのか、
「他者からの評価ではなく自分の幸せを指針に生きろ」
的な言及に触れることが多いです。

きっとそれも正しいのでしょう。
そんなふうに生きられたら幸せだろうなと私も思う。でもね。

「人に喜ばれるとうれしい」。
私は、ただそれだけで生きてきたの。

それ以外の、自分の喜ばせ方がわかりません。

おととい、久しぶりに研修がありまして。
ヒザ下の施術を、そりゃもう重点的にやりました。
体重のかけ方がどうーーしてもわかんなくて、
でも研修終わりかけの頃、ふっとそれがわかった瞬間があって、
「それっ! オガワさん、それっっ!!」って上司がはしゃいで、
その瞬間がとってもうれしかった。

そしてゆうべまたじんましんが再発したわけですが、
それでも私は思うのです。


四方八方、幸せなだけの人生なんて、何のネタにもならないよー!!


私は、ネタになる方を行く。
人に笑ってもらえる方を行きます。



# by shibe0814 | 2016-07-15 19:46 | オガワの腹ん中

この旅のおぼえ書き

島根に、行ってきました。

4年前、自分から「演劇ライター」を名乗っていた頃に取材した
(http://www.ai-ni-iku.com/ai-ni-iku/ep01/ep01_01.html)、
雲南市の演劇人たちによる公演『オイル』を観に。
(感想は当日ツイートしたので割愛しますね)

彼らが何らかの行動を起こすたびに、おじゃまする街です。
新幹線も、岡山での待ち時間に足を伸ばす「独歩」のスタンドも、
そして岡山からさらに3時間かかる魔の「特急やくも」も、
なんかもー目をつぶってでも行けちゃうんじゃないか、ってくらい通っています。

ただ、今回は、前回までとは大きく違う点がありました。
私が自分から「演劇ライター」を名乗ることをやめたこと、です。

そのあたりは、このブログの2月あたりからの動きに詳しいのですが、
要するに私は「誰かを追いかける」「追いついたり離されたりする」
「結局一人残される」の繰り返しに耐えることが、
ちょっともう、できなくなってしまった、ということです。

私が書いた言葉や、私のしたことが、
誰にどう届いているのかわからない日々ではなく、
顔の見える誰かと、嘘じゃない何かを交わしたい。
そんなふうに、思うようになったのでした。

でもね。そうすると何が起きるかっていうと、
はじめましての人にはじめましてをする時に、
自分を説明する言葉がみつからないってことなんです。

「ねえねえ、おばあさんはなぜここにいるの?」
「それはね赤ずきん。お前たちのことを書いちゃうためだよー!」きゃーー!
……が、できないのです。

初めての事態でした。
「自分もみんなの力になれるかもしれない」という今までの前提が、
今回は、根っこからごっそりと無いのです。

見える景色も、今までのどの訪問とも違いました。
どうやらとんでもなく過酷だったらしいこの現場で、
疲れはててしまった人たちに例えばコーチングスキルを使おうにも、
何も届かない響かない。今の彼らに必要なのは先行きを照らす灯りではなく、
積もり積もった鬱積を理解し共感し一緒に毒吐いて笑ってくれる同志なのです。

私は、それではない。
そのことが、とても静かに胸を満たしました。
そしてここが予想外だったのですが、そのことが、
私はどうも悲しくはないのです。

最初に彼らを取材したのは、もう4年も前のことです。
小さな町の人たちが、「演劇」という手段を得て、
自分にできることを持ち寄って、それぞれ大らかに発揮している。
そのさまに私は惚れたのでした。

でも時間が流れれば人も状況も変わります。
私だって、当時は想像もできなかった変革期にいます。

季節は変わったのだと、私は静かに思いました。
まるで寂しくないと言ったら嘘になるけど、
でも、それは私にとって、揺らがぬ事実でした。

「力にならなきゃいけない」を取りはらった私は自由でした。
問題山積の首脳陣にその真相を問うのではなく、
私の顔を遠くから見つけて、話をしに駆け寄ってきてくれる人たちと、
ただ、時間をいっぱい過ごしました。

これはもう「ともだち」と呼んでしまいたい。
そう思いました。

演劇の肩書を取り外した私が、演劇の街を訪れたら、
できたのは、「ともだち」でした。

いい旅でした。深く感謝します。




# by shibe0814 | 2016-06-14 11:35 | オガワの腹ん中

お疲れ気味のあなたのもとへ行き、足を揉んだり話を聞いたり、ちょっと元気になってもらう「旅する保健室」の小川志津子がいろいろと書いてます


by 小川志津子