2016年 10月 08日
変わり目に起こりうるあれこれ
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他者から自分に許された、与えられた方向ではなく、
自分が行きたい方向に進むのだという決意は、
両手にいっぱい手みやげを持って、
私の前に現れました。
まず、「自分は今これをどう思うのだろう」を瞬間ごとに考える条件反射力。
今私がしたことは正直? 今書いたことは真意?
あれ、なんか気持ちわるいね、これって何だろう?
あ、今はうれしいね、どうしてだろう?
一瞬ごとにそれを自分に問いながら、
メールを書いたり、ブログを書いたり、
人と話したり、しています。
わりとたいへーーん!(爆汗)
また、自分に正直でいるとなると、「好きなもの」だけでなく、
「きらいなもの」もはっきりと認識するようになるので、
あーやだな、今すげー悲しいな、むかつくな、
なんでだろう、やだどうしよう、ほんっとうにだいきらいみたい!
そんな感情が以前より、ずっとビビッドに訪れます。
「いなばの白うさぎ」って昔話があるじゃないですか。
サメ(だっけか?)をからかって怒らせて、
白い毛皮を全部ひんむかれて、
潮水に浸けられて、しみてしみて、
潮風に当てられながらひーひー言ってる白うさぎ。
あんな状態です、今たぶん。
なんかもうえらい勢いで「むき身」にされちゃったから、
ほんのちょっとのそよ風が痛くてたまらない。
そうするとね、作り笑顔とかをする余裕がなくなっちゃうんです。
悲しい時は涙が出ちゃうし、苛立った時は声がふるえる。
それが隠せないの。こぼれちゃうんです。
たぶん限界まで来てたんだと思います。
みんなに、すみずみまで、温和で柔和なオガワさんをやってくのが。
大好きな人を見かけても、人に囲まれてたらそっと身を隠し、
ひどいこと言われても、その瞬間は笑ってごまかし、
笑顔で別れて、帰りの電車の中で初めて
「……今ひどいこと言われたんじゃない私!?」って気がつくとか、
そういう筋肉疲労が募って、壊れて、
「第二形態」(©シン・ゴジラ)がよーやく始まるんだと思う。
言い方を変えれば、私が「すみずみまで温和で柔和」じゃなくても、
それでもそばにいてくれる人は、宝物なんだと思う。
私は、作り笑いで一時的な平和に安心して暮らすのではなく、
まっしぐらに宝物がほしい。とてもとても、ほしいのでした。
by shibe0814
| 2016-10-08 14:03
| オガワの腹ん中