オガワの腹ん中。

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居場所、というもの。

「あいにいく」に関係あるような、ないような、話を。

気がつくと、フリーランスという立場にいました。
そうすることが、好きなのだと思って来ました。
どこかの集団や会社に所属するとか、ちゃんと関わるとか、
そういうことをせずに、ひとりで、身ひとつで、
様々な場所へ出向いて、誰かに出会い、何かを見聞きし、書く。
そうすることが好きで、今日まで来ました。

けれど「異伝ヤマタノオロチ」取材で、
ひとつ、気付かされたことがあります。

かつてその場を離れたけれど、
地元に戻って教育と演劇に勤しむ先生がいました。
雲南市、という木次から少し離れた街で、
劇団をやっている若者たちがいました。
東京で、劇団の制作経験を経て、
木次の公共ホールに職を移し、
創作の場作りに奮闘する制作嬢がいました。

私の胸に宿ったのは、猛烈な羨望と憧れでした。

居場所、というもの。
そこに居ることを、許されるということ。
自分の根ざす場所。自分だけの椅子。自分の為すべき仕事。

自分の中に、それらのものに対する憧れが、
こんなにあるって、知りませんでした。
びっくりしました。自分は「訪問者」に過ぎない、
そのことが、猛烈に寂しい、ってそのとき思ってしまったのです。

これはゆゆしき事態です。
自分が貫いてきた(と思っていた)生き方が、
ぐらりと揺らいだ瞬間でした。
こんなトシにもなって、今さら人生の何をどう変えろというのか。
でも、それでも私はやっぱりはっきりと、
彼らが持つ何かに、焦がれている。

こうして書いている今も、実は揺れているままです。
答えとか、たぶん出ないなあって思います。
けど今、荒海に投げられた藁のように、
ひとつだけ、握り締めている実感があります。

居場所がない、ということは、
誰とでもつながれる、ということだ。

居場所がない。人に渇望している。
だから切実に、誰かとあいたい。つながりたい。

今のガソリンは、たぶんそれです。
「渇望」がアベレージなのだから、それはだいぶしんどいけれど、
でもやっぱり、それがガソリンです。
その馬力にかけては、たぶん誰にも負けない気がする。

さあ、次は誰にあいにいこうかな。
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by shibe0814 | 2012-05-04 09:22

お疲れ気味のあなたのもとへ行き、足を揉んだり話を聞いたり、ちょっと元気になってもらう「旅する保健室」の小川志津子がいろいろと書いてます


by 小川志津子