2012年 05月 04日
居場所、というもの。
「あいにいく」に関係あるような、ないような、話を。
気がつくと、フリーランスという立場にいました。
そうすることが、好きなのだと思って来ました。
どこかの集団や会社に所属するとか、ちゃんと関わるとか、
そういうことをせずに、ひとりで、身ひとつで、
様々な場所へ出向いて、誰かに出会い、何かを見聞きし、書く。
そうすることが好きで、今日まで来ました。
けれど「異伝ヤマタノオロチ」取材で、
ひとつ、気付かされたことがあります。
かつてその場を離れたけれど、
地元に戻って教育と演劇に勤しむ先生がいました。
雲南市、という木次から少し離れた街で、
劇団をやっている若者たちがいました。
東京で、劇団の制作経験を経て、
木次の公共ホールに職を移し、
創作の場作りに奮闘する制作嬢がいました。
私の胸に宿ったのは、猛烈な羨望と憧れでした。
居場所、というもの。
そこに居ることを、許されるということ。
自分の根ざす場所。自分だけの椅子。自分の為すべき仕事。
自分の中に、それらのものに対する憧れが、
こんなにあるって、知りませんでした。
びっくりしました。自分は「訪問者」に過ぎない、
そのことが、猛烈に寂しい、ってそのとき思ってしまったのです。
これはゆゆしき事態です。
自分が貫いてきた(と思っていた)生き方が、
ぐらりと揺らいだ瞬間でした。
こんなトシにもなって、今さら人生の何をどう変えろというのか。
でも、それでも私はやっぱりはっきりと、
彼らが持つ何かに、焦がれている。
こうして書いている今も、実は揺れているままです。
答えとか、たぶん出ないなあって思います。
けど今、荒海に投げられた藁のように、
ひとつだけ、握り締めている実感があります。
居場所がない、ということは、
誰とでもつながれる、ということだ。
居場所がない。人に渇望している。
だから切実に、誰かとあいたい。つながりたい。
今のガソリンは、たぶんそれです。
「渇望」がアベレージなのだから、それはだいぶしんどいけれど、
でもやっぱり、それがガソリンです。
その馬力にかけては、たぶん誰にも負けない気がする。
さあ、次は誰にあいにいこうかな。
気がつくと、フリーランスという立場にいました。
そうすることが、好きなのだと思って来ました。
どこかの集団や会社に所属するとか、ちゃんと関わるとか、
そういうことをせずに、ひとりで、身ひとつで、
様々な場所へ出向いて、誰かに出会い、何かを見聞きし、書く。
そうすることが好きで、今日まで来ました。
けれど「異伝ヤマタノオロチ」取材で、
ひとつ、気付かされたことがあります。
かつてその場を離れたけれど、
地元に戻って教育と演劇に勤しむ先生がいました。
雲南市、という木次から少し離れた街で、
劇団をやっている若者たちがいました。
東京で、劇団の制作経験を経て、
木次の公共ホールに職を移し、
創作の場作りに奮闘する制作嬢がいました。
私の胸に宿ったのは、猛烈な羨望と憧れでした。
居場所、というもの。
そこに居ることを、許されるということ。
自分の根ざす場所。自分だけの椅子。自分の為すべき仕事。
自分の中に、それらのものに対する憧れが、
こんなにあるって、知りませんでした。
びっくりしました。自分は「訪問者」に過ぎない、
そのことが、猛烈に寂しい、ってそのとき思ってしまったのです。
これはゆゆしき事態です。
自分が貫いてきた(と思っていた)生き方が、
ぐらりと揺らいだ瞬間でした。
こんなトシにもなって、今さら人生の何をどう変えろというのか。
でも、それでも私はやっぱりはっきりと、
彼らが持つ何かに、焦がれている。
こうして書いている今も、実は揺れているままです。
答えとか、たぶん出ないなあって思います。
けど今、荒海に投げられた藁のように、
ひとつだけ、握り締めている実感があります。
居場所がない、ということは、
誰とでもつながれる、ということだ。
居場所がない。人に渇望している。
だから切実に、誰かとあいたい。つながりたい。
今のガソリンは、たぶんそれです。
「渇望」がアベレージなのだから、それはだいぶしんどいけれど、
でもやっぱり、それがガソリンです。
その馬力にかけては、たぶん誰にも負けない気がする。
さあ、次は誰にあいにいこうかな。
by shibe0814
| 2012-05-04 09:22