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人から拒まれたい、って思って暮らしてる人は、
おそらく、いないんじゃないかと思います。
「俺もう誰にどんなヒンシュク買ってもへーきだわ」
って腹くくった感でおっしゃる方もあるとは思いますが、
でもそれは、別のどこかで、別の誰かに、
圧倒的に受け入れられているという実感があってのもの。
誰っっっっひとりとして俺を愛してくれるな、
何がなんでも拒まれたい!!っていう人は、
たぶん、いないと思うのです。
人は、人から、受け入れられたい。
最初の落とし穴は、まずここにあるように思います。
先に結論を言ってしまうと、
「受け入れられたい」と「拒まれたくない」は、
とても似ているけれど、別ものです。
例えば、大好きな誰かができたときに、
「受け入れられるためにどうするか」と、
「拒まれないためにどうするか」が異なるのと同様にです。
「拒まれないためにどうするか」の根底には、無意識のうちに、
「相手はおそらく自分を拒む」という前提がひそんでいます。
これがやっかい!
とーーってもやっかい!!
「拒まれないためにどうするか」を考えてる時点ですでに、
「自分とは、拒まれるべき存在なのだ」を了解しちゃってるからです。
自分は、あの人(あるいは仕事とか夢とか)に見合う存在ではない。
そう思って自分のスタートラインを、
自分で何十メートルも下げちゃってるわけです。
そりゃー疲れるわ!
人より余計に走ってんだから!
しかも、拒まれないために、常に笑顔で。
つらいとか悲しいとか疲れたとかはひた隠しで。
特に人から嫌われてはいないはずなのに、
みんな笑ってくれているのに、
自分はどうしてこんなに寂しいんだろう。
そんなふうに思う人は、いませんか。
好かれる努力なんか全然してない(みたいに見える)のに、
あっけらかんとみんなに愛されてる人を前にすると、
心がやさぐれてしまったり、しませんか。
私は、します!!(断言)
ええ。私もです。私も小さい頃から、
「自分は世界から拒まれる」を前提に走ってきました。
そうならないためにどうするか、ばかりを探して走ってきました。
おかしいなあ、ってずっと思ってました。
みんな笑ってくれてるのに、その笑顔を信じきることができない。
人と会って話をするだけで、普段の何十倍も疲れちゃう。
その理由に気づいたのは、つい最近のことです。
そうかそうか。私は、人より余計に走ってたのか。
だから人よりくたびれるし、やさぐれるんだな。
ですから私はここからは、
「自分は、世界から拒まれない!」という実感を獲りに行こうと思っています。
人より余計に走らなくても。
何らかの修行とか拷問とかを耐えなくても。
自分は、自分のままで、拒まれない。受け入れてもらえる。
それを確かめる日々を生きます。
「拒まれないために」生きているあなたへ。
まず、自分が置いてたスタートラインを疑ってみませんか。
あなたのスタートラインは、本当にそこで良いですか?
それじゃあまりにもゴールから遠くないですか。
走りきれますか? ほんとうに?
何ならゴール際まで持ってきちゃいましょう。そのスタートライン。
「すでに自分は受け入れられている」、
その証拠ばかりを、五感全開で探してまわりましょう。
家を出ます。駅へ向かいます。電車に乗ってみます。
誰も拒みません。Suicaのチャージさえあれば。
電車を降ります。よさげなカフェがあります。
入ってみましょう。誰も拒みません。
むしろ「いらっしゃいませ」って言ってくれます。
お金がなければ、そうですね、公園へ行ってみましょうか。
空を見ましょう。太陽も、薄雲も、あるいは雨だって、
分けへだてなく、降り注いでいます。誰も拒みません。
「今日は拒まれなかった」の実感だけを数えあげながら1日を終えてみるのです。
もちろん、自分ひとりじゃ見つけられないときもあるでしょう。
そんなときは、どうぞ保健室へおいでください。
一緒にひとつひとつ、拾いあげてみるとしましょう。